蚊を防ぐため寢室などにつる覆い帳。
蚊屋とも書く。
現在では蚊帳と書いて〈かや〉と読んでいるが,本來は〈ぶんちょう〉と読む漢語である。
戦國期になると麻蚊帳が出てくる。


このころの蚊帳は素材は生絹(すずし)製で,外蚊屋と內蚊屋の2種類あった。
外蚊屋は室內全體もしくは室の開口部を覆うもので,內蚊屋は帳台の天蓋からつり下げて寢牀の周囲だけを囲ったものらしい。
しかし中世までは蚊帳を使うのは支配階級もごく一部で,貴族でも大部分は蚊やりですごしていたようである。
蚊帳がある程度普及するのは室町時代からで,當時の蚊帳は素材はやはり生絹で,四方形に縫いつなげ,上部の周囲に乳(ち)をつけてここに竿を通して天井からつっていた。
したがって毎日畳むのでなく,晝間は裾をたくし上げて竿にかけておいた。
蚊が出はじめる4月(暦)に陰陽師が吉日をえらんでつりはじめ,8月末の吉日をえらんではずした。
戦國期になると麻蚊帳が出てくる。
このころからは蚊帳も商品化が進み,江戸時代の初めにかけて奈良や江八幡が麻蚊帳の産地として発展してきた。
奈良は薴麻曬(ちよまさらし)の産地であったためにくから産地化した。
後発の江八幡は麻糸産地の前地方と結んで農家の副業として生地を織らせ,仕ては各地の販売店で行う方式をとり,販売もの行商法で全國に販路を拡した。
こうした商品化の進展につれて形も簡略化され,はじめ竿のかわりに綱となり,ついで四隅に環のつり手をつけるだけとなった。
またこの間に汚れも目だたず鮮やかな色彩の萌葱(もえぎ)染,茜縁(あかねぶち)の麻蚊帳が創出されて,蚊帳の実化と普及は一段と進んだ。
麻糸で1枚の蚊帳をつくるにはな手間と日數を要し,主婦が1張の蚊帳をつくることは男が一代で家を建てることに匹敵する功労といわれた。
帯の伝染病(マラリア,黃熱病など)の発生地域ではもちろん,蚊の大量発生は温・寒帯の地域にもみられ,殺蟲剤とともに蚊を防ぐ設備がのものとなっている。


延伸閱讀…
帳,紙帳は麻蚊帳の買えない人や僱人としていられたが,そればかりでなく帳は冬の防寒に,また紙帳は塗師がほこりけとしても利用した。
しかし,蚊帳は1960年代を境にしだいに使われなくなっている。
執筆者:小泉 和子 ヨーロッパでは,窓に防蟲のネットを張ったり,いカーテンを引いたりして,蚊の侵入を防いだ。
しかし蚊の多い地域や上流の家では,それらとモスキート・カノピーmosquito canopyとを併することもあった。
これは天井からつるす天蓋のようなもので,日本の蚊帳にた構造をもち,ベッドのまわりに牀まで亜麻などでつくったい布を垂らして蚊を防ぐものである。
帯の伝染病(マラリア,黃熱病など)の発生地域ではもちろん,蚊の大量発生は温・寒帯の地域にもみられ,殺蟲剤とともに蚊を防ぐ設備がのものとなっている。
延伸閱讀…
とくにダムや鉄道の建設現場などでは,蚊やブユが工事のの〈敵〉になっているところもあり,これらの地域のために,カノピーにかわるな蚊帳のようなものもつくられている。
→カ執筆者:編集部…蚊屋とも書く。
現在では蚊帳と書いて〈かや〉と読んでいるが,本來は〈ぶんちょう〉と読む漢語である。
歴史はく,《日本書紀》によると応神天皇の時に中國の呉から蚊屋衣縫という技術者が渡來したとある。
……これを追うためには煙が有効な手段で,山野で労働する者は古布を固く巻いて糸で縛り,點火して腰に下げその煙で蚊を追い,また黒布で眼部だけ出して頭部を包みこれを防いだ。
和歌,俳句などにも蚊柱,蚊帳(かや),蚊やりなどを詠じたものが多く,日本の春から秋までの生活と切り離せぬ風物であった。
ことに蚊帳は近世後生活必需品として普及し,九州から中部・関東地方の村にはゆい,すなわち労力交換の作業で女がつくり,仕上がると集まって餅を共食するカヤマツリという習慣があった。
…宗教家や學生などによる社會の下層に屬する人々に対する社會事業の一つ。
主として宗教,教育立場からなされるものが多い。
その事業內容はさまざまであるが,に,保育,學習,クラブ,授産,醫療,各種相談な…